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SOUR
2009年8月13日 

NHKカルチャー青山教室と水彩堂JAPAN公開講評イベント『水の語らい』が無事終了し、ホッと一息でお盆休み中に書いています。

最近お気に入りのトリオバンド“SOUR”の「日々の音色」(http://sour-web.com/)を聞きながら、暇にまかせていろいろ考えているうちに、ふと思ったことがあります。私的な嗜好の話なので、興味のない方はパスしてください。



「面白いビデオ作品があるよ!」とこの若者たちのバンド“SOUR”を教えてくれたのは、永山裕子夫妻です。さっそくYouTubeで見てみると、今だからこそできるボーダレスなコンセプトとしっかり作りこんだ作品に一発でやられてしまいました。私がP社の宣伝部にいたら間違いなく一緒に仕事をしていたでしょう。そして、映像にも増して気に入ったのがスカスカな力の抜け切った“音”でした。

“SOUR”は面白い経歴を持った3人のアコースティック(生楽器)バンドです。この“3人組”というのが気になったので、よく考えてみると、私が高校時代や会社時代にやっていたバンドも3人ですし、過去好きだったバンドはトリオバンドがとても多いのです。例えば、邦楽では初期のRCサクセション、ガロ、YMO、フォーククルセダーズ、ブランキー・ジェット・シティなどなど(残念ながらアリス、海援隊、少年隊、かぐや姫、アルフィは入りませんが)洋楽ではポリス、ストレイキャッツ、ニルヴァーナ、クロスビー・スティルス&ナッシュ、ELP、アメリカ、ディーライト…たくさん出てきます。
私が好きなのは、3人という最小単位で作り出す音の“間”の気持よさなんだと思います。

音を重ね、深く重厚に構築された音楽も好きですが、やはりスカスカで隙間だらけだけど引き込まれる音楽に魅力を感じます。言ってみれば無駄をそぎ落とし最小限度の音だけを紡いで音楽性の高いものを作り出すということ。“収斂”とか“純化”といったシンプルな行為によってしかできない“名人芸”に似たものかもしれません。

そういう意味で、水彩画にとても近いものを感じます。描き過ぎ、重ね過ぎ、強過ぎ…水彩画ではあらゆる局面で“〜過ぎ”や“無駄”は失敗の元ですし、力の抜けた“巧み”が見え隠れするところに人は惹かれたりします。グイグイ押してくる“迫力”を水彩に求めてもむなしいだけな気がしますし。なにより、紙の白(“間”であり“隙間”)が美しく見えることが最重要であることが決定的だと思います。

私の尊敬する“ココロのボス”ではなく“心の師匠”西丸式人先生は、まさに“水彩名人”。思うがままに最小限度の筆さばきで対象の本質を描き出す達人です。西丸先生には遠く及びませんが、私も力の抜けた人を楽しませ癒すような絵が描けたらと、常々思っています。

最近、私の嗜好性は間違いなくそぎ落としの美学に向かっている気がします。もしかしたら、時代がそっちへ向いているからなのかもしれませんね。20世紀的拡大・増殖の価値観から、収斂・精錬の時代へ。とても未来的な価値観だと勝手に思って悦に入ってる今日この頃です。

| 気付きの日誌 | 16:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
特別講評会"水の語らい"を終えて
特別講評会

ちょっとエラそうに見えますか? 実際はイッパイイッパイで、いいところ、わるいところ、できるだけわかりやすく説明しようと必死でした。終わってみれば2日間で計110点以上、1人当たり平均12分ほどかけていたことになり、充分ではないにしろ濃い“好評”ができたと思っていますし、私たちにとってもとても勉強になったことを永山さんと確認しています。 

例えば、同じ言葉でも捉え方が違うこと、それぞれにいろいろな思いが込められていること、(私にとって)なんでもない場所をとても魅力的に思う人(またその逆…)、私が“必須”と思っていたことを知らなかったり、とても難し過ぎることに挑戦していたり。一人で教室を持って教えている私にとって、それぞれ違う環境で勉強されている方々に接すること自体がとても新鮮で、大切な経験をさせていただきました。

 反対に、『いつも描きすぎて濁ってしまって、“止め時”が分からない』『見えるもの全部描いてしまい、“主役”“脇役”が途中からなくなってしまう』など場所や環境に関係なく、皆さん同じ悩みを抱えていることもわかりました。今後も、できたらこういう機会に参加していきたいと思います。みなさん、本当にお疲れ様でした。今後の糧にしていただけたら嬉しいです。
| 気付きの日誌 | 17:16 | comments(3) | trackbacks(0) |
『永山流 水彩画法 を10倍楽しんでください!』の連載を終えて
昨年の11月6日から約8カ月間、回を重ねるごとにその反響をジワジワと感じつつ書き進めてきました。 第二弾発売前に終わろうと思っていましたので、ギリギリのタイミングでしたが無事書き終えることができ、ホッとしています。

書き終えてみて、言いたいことの1/100も表わせたわけではありませんが、改めて永山さんの“凄さ”を実感したとともに、このDVDシリーズが、数ある水彩画の教材のなかでも、唯一無二の内容であると確信した次第です。
 
なにより、このハイレベルな制作を、自ら解説しながら、しかも時間内に“サラリ”とできてしまう才能と、それを惜しげもなく公表してくれた永山裕子という人格に、改めて感謝と敬意を送りたいと思います。

今後、しばらく間を置き、第二弾にも取り掛かるつもりです。拙い解説ではありますが、買っていただいた方々のお役にたてればと思い、誠心誠意がんばります。
| 気付きの日誌 | 11:49 | comments(4) | trackbacks(0) |
遠くは薄いの?暗いの?
 「遠くは薄く」「奥は暗く」「後ろはぼかす」と思い込んでいませんか?
確かに遠くの山は近くより色は薄いですし、光の届かない部屋の奥は暗い。でも気をつけてください!すべてがそうだと決め付けてしまった途端、人はよく見ることを止めてしまうものですから!

遠近法のひとつに空気遠近法(大気遠近法)という技法があります。風景を描く場合、地上には空気(大気)がありますから湿気や様々な粒子を含んだ空気の層が厚くなると遠くのものは霞んで見えますね、中国の桂林のように。だから、遠くのものは薄く描けばいいと思うのもうなずけます。でも、室内の静物を描くときには霞や靄はありませんよね。

それならとモチーフの奥の方を暗くすれば引っ込んでくれるのか?というと必ずしもそうではない。奥の方が暗くなるのは全光(順光)の時だけです。斜光や逆光の時に一番奥に差し込んだ光がとてもきれいだと思った経験はありませんか? もしないのなら、『奥は暗い』と決め付けて見ているかもしれませんね。
 
ある意味で、人は“思い込み”と“先入観”を支えにして生きているのだと思います。『あばたもえくぼ』とはよく言ったものです。
でも、絵を描く時はこの“生活必需品”は邪魔になることがよくあります。見たままに描けない理由がそこにあるのではないでしょうか。 反面、“思い入れ”のない絵は魅力に欠けるのも事実。あぁ、難しい! ある時は冷静、客観に徹し、冷ややかな目でモチーフや作品を一瞥し、またある時は情熱と恋慕の情で両者にのめり込む。そんな二重人格ともいえる切り替えが理想なのではないでしょうか? これは私にとっての目標でもあります!

ちょっと横道にそれてしまったので、軌道修正。 遠近感を表すためには光と陰(影)を見極めて描くことも重要です。光がある(=影がある)ということは、そこに空間があるということを表します。光の方向をしっかりと意識して、特に陰(影)の秩序が合ってくると自然に光を感じる絵になってきます。ということは空間を感じることになり、遠近も生まれてきます。 

最後に、“思い込み”や“先入観”にとらわれないための私なりの方法をお教えします。それは、見たものを “ことば” に代えないこと。 例えば、「遠くは薄い」「奥は暗い」に始って、「葉っぱは緑」「空は青」「桜はピンク」などなど、ことばに代えた瞬間からそのことばに縛られることになるからです。ことばに代えるとそこから自由になるにはたいへんなエネルギーが必要になります。
できることなら全感覚で得た情報は右脳経由で画面に到達させたいものです。


空気(大気)遠近の実例


近くが暗く、遠くが明るく鮮明な実例 (フェルメール「画家のアトリエ(絵画芸術)」 1665年〜66年 )
| 気付きの日誌 | 17:08 | comments(1) | trackbacks(0) |
気付くと世界が変わる
ちょっと絵の話ばかり続いたので一服しましょうか。

 日常生活の中、なんでもないきっかけで「はっ!」と何かに気付くことがありますよね。そういう瞬間はとても刺激的で、それまでの価値観が一瞬にして裏返ってしまったかのような衝撃を味わいます。そんな私なりの“気付き”を軽〜く(または重〜く)お話したいと思います。

 その一。某大学でガーデニングを教えている先生(=生徒さん)が言った言葉。
それは、『庭に咲く花を正面から見たい人は、北向きの日陰の部屋から見なければいけないんです。』 つまり、花は太陽に向かって咲くので、部屋が北向きでなければ、花の正面から見ることはできないということ。そう言えば、京都嵐山の絶景で有名な旅館は全室北向きで、陽に映える対岸の真っ赤なもみじが売りだった。私は聞いた瞬間「なるほどぉ〜、深いなぁ!」と目の前のモヤが吹き飛ぶ思いでした。あとで知ったのですが、そもそも南向きにこだわるのは日本人くらいらしいですけど。

 そのニ。私は山梨県甲府市出身です。子供の時から甲府盆地で育ったので、山に囲まれいつでも富士山が見える環境に何の不思議もありませんでした。その後上京し全国から集結した学友たちと話しているうちに、山、とりわけ富士山に対する思いがみんな異常に強いということに驚きました。でもそれは当たり前といえば当たり前。毎日間近に富士山を見ることができるほうが珍しいんですから。それよりもっと強烈に気付かされたのは、富士山は青と白だったという事実です。実は、それまでの私にとって富士山というのは黒か赤の暗いシルエットの印象が強かったのです。
考えてみれば、私の故郷甲府は富士山の北西に位置します。太陽はいつも富士山の向こう側を通過し、はるか右方で赤い夕焼けとなって沈んでいきます。斜光で光と影がバランスよく当たって立体的な富士山を見せてくれる静岡側からの見え方と違い、逆光でほとんど影(陰)となって平面的な印象だけを見て育った私には“光の当たった富士山”は大変な発見でした。岩井俊二監督じゃないけれど、ちょうど打ち上げ花火が平たい“円”でなく“球”だと気付いた時のように。

 その三。地球温暖化に関わるある事実(?)を知ることによって誤謬の修正を迫られ、非常にショックだったことがあります。 それは、地球温暖化の主な原因は太陽活動の活発化であってCO2ではないという説。CO2が増えると気温が上昇するのではなく、気温が上昇するとCO2が増えるのだそうです!?もしそうだとすると、今世界中が大騒ぎしているCO2削減って意味がなくなってしまいますよね。どちらが本当か分かりませんが、なんだかそんな気がしてきました。だって、わずか40年前は地球寒冷化、「氷河期が来る!」と大騒ぎだったんですから。私たちが知る由もない全地球に影響力を及ぼすような大きな力(自然または人的)が動いているのかもしれません・・・。


1〜8まであるので続きはこちらでリンクを辿ってください。
The Global Warming Swindle 1~8 
http://jp.youtube.com/watch?v=hUKLOvtAUDk
| 気付きの日誌 | 13:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
究極のにじみ、ぼかし!
子供の頃、天井のシミが顔に見えて怖くて眠れなかった・・・。誰でも一度は経験があるのでは?想像力のなせる業です。子供の感受性は、シミひとつから宇宙や天国(地獄)まで飛んでいけるんですから。 絵を鑑賞する時も絵を描く時も、こういう感性はとても大切だと思っています。

絵は平らな画面に描きます。現実に存在する花を描いたり、広い空間(風景)を描いたりするわけですが、実は巧みに見る人の錯覚や先入観を呼び覚ましてあたかも平面の上に立体や空間があるかのように見える仕掛けを施しているとも言えます。良くも悪くもイリュージョン(錯視)を操っているわけです。

とりわけ“にじみ”や“ぼかし”はシミと同じように自然現象ですから人の作為が表れない分、見る側の想像力を掻き立ててくれます。

下の写真は私の作品ではありません。画塾に通う途中のバスから見えるコンクリートの壁です。[1]は雪雲に覆われた雪原の様でもあり、嵐の近づく遥か水平線の様にも見えますし、[2]は優れたコンポジションのアブストラクトアートのようです。[3]は雨の江ノ島・・・。[4]は? 見る側の想像力一つでいろいろなものが見えてきます。

[1]
WALL1

[2]
WALL2

[3]
WALL3

[4]
WALL4

私は水彩画を受講する生徒さんによく『筆をこね回してなんとかしようなんて、おこがましいですよぉ』と言うことがあります。水彩画は自分の腕(筆)で何とかしようとして自然に逆らったとたんに汚れ始めます。自然のにじみやぼかしよりきれいな調子を筆で作れるわけはないですし、一度描いたところを(特に生乾きの状態で)筆でこすると下の色が解けて混ざり、結局「いじらない方が良かった」ということになったりするので、うまく自然現象と付き合うことが肝要になります。ある意味ではとても“eco”な思いを含んでいるとも言えますね。
 
というわけで、自然の力を受け入れ、想像力(創造力)を膨らませて、謙虚に潔く絵に立ち向かいましょう。
| 気付きの日誌 | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
影(陰)って暗くない !?
実は影(陰)はそんなに暗くありません。と言うと「なんでぇ?」と思う方も多いと思います。答えは地上にいる(ある)限り例外なく“反射”があるからです。
月の陰は真っ暗ですよね。それは近くに反射するものがないから。私たちが地上で見るものは、必ず周りのものから影響を受けているので影(陰)とはいっても真っ暗にはなれません。
 
では、光の当たっているところと影(陰)の中では何が違うのでしょう?
私は昔々受験勉強中に、それは“晴れ”と“曇り”だと気付きました。つまり、光の当たっている部分は晴れた日のようにクッキリとコントラストがついてよく見えますし、影の中は曇りの日のように明るいところも暗いところもさほど差がなくドンヨリしています。私は、これが光と影(陰)を描く時のポイントだと思っています。

暗くない影(部分)
PHOTO3

建物の光の当たったところと陰の中の違い(部分)
PHOTO4
| 気付きの日誌 | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
混ざらない絵具 !?
透明水彩絵具で描いている時、パレット上で混ぜたはずの色が、しばらくしたら分離して2色に分かれているのに気付いたことはありませんか? 例えばコバルトブルーとアンバーを混色した時とか。
パレット上で適量を混ぜるときれいなグレーになるのに、しばらく放って置くと何色ともいいがたい微妙な色になっています。
 これはコバルトブルーの粒子が重たい(重金属=猛毒)ので早く沈んでしまう(沈殿)ために起こる現象です。紙の上では絵具が多めのところは青く、少な目のところや流れ出たところは茶色っぽくなったりします。他にもウルトラマリンやセルリアンブルーも沈殿し易い色ですね。
 この現象をうまく使うと一度塗っただけなのに信じられない微妙な色の変化が現れて驚くこともしばしばです。一度試してみてはいかが?

コバルトブルーとアンバー系の混色を影の部分に使用した例(部分)↓
photo1photo2
| 気付きの日誌 | 17:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
“気付き”の水彩日誌
絵を描くからこそ気付くことがたくさんあります。
画材のこと、光と影のこと、遠近感のこと、モチーフのこと、質感のこと・・・。
何かに気付いたことでそれまで見過ごしていたモノ・コト(世界)が、まったく違って見えたりするのは本当に快感です。

ここでは、そんな絵を描く中でのちょっとした“気付き”を思いつくままに書いてみようかと思います。
| 気付きの日誌 | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0) |

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